一般には、1859年のエドウィン・ドレークの油井掘削の成功が有名です。しかし人類と石油掘削の歴史は、もっと古いのです。
一説によると紀元前1500年のアブラハムの時代まで遡るといわれています。紀元前450年頃の歴史家へロドトスもその著書に石油またはガスの記録を残しています。
中国でも孔子時代の記録があるそうです。
中国では、西暦1200年頃になると、竹の弾力性を利用した掘削技術が発達して、450メートルの井戸が掘られました。
最初 の目的は岩塩水の採取にあったようですが、副産物の天然ガスは塩水を煮つめる燃料として便われました。石油を目的とした最初の井戸は、1745年にフランスで掘られました。石油の母国アメリカでは、1814年にケンタッキーで、“アメリカン・ウェル”という名の井戸が掘られ、約1,000バーレル/日の石油を生産した記録が残っています。
ところでドレークの井戸は、深度20メートルにすぎず、石油の生産量もぜいぜい30バーレル/日にすぎませんでしたが、ちょうど石油から得られる灯油に対する需要が急増しつつあったので、近代石油産業の成立に結びついたのです。
わが国では、天智天皇の時代、668年に越の国から“燃える水”と”燃える土”が献上されたことが有名です。多分、石油と アスファルトだったのでしょう。越後地方では、徳川時代の初期(1615年)より油井掘削の記録が残されています。そうだとすると世界最初の油井は日本で掘られれたのかもしれません。特筆すべきことは、世界最初の海上掘削が日本で行われていることです場所は新潟県の尼瀬海岸で明治23年(1890年)のことでした。
20世紀に人ると、石油掘削技術は飛躍的に進歩しました。綱による衝撃式掘削方式は、次第にロータリー式に置き換え られました。掘削深度の記録もだんだんと書き改められました。
この分野では、アメリカが長い間記録保持者でしたが、 1980年にソ連が北極圏でl万メートルに達する井戸を掘って記録を破り、1985年に12,000メートルまで記録を伸ばしたあと、更に15,000メートルを目標に掘り進んでいます。
石油の探鉱の目が僻地、極地、深海といった、いわゆるフロンティアに向けられるにつれて、油井の掘削費は莫大な額にのぼるようになってきています。経験と勘に多くを頼るような掘削方法はもはや認め難いものとなり、さまざまな角度からデータを分析し利用すること、つまり掘削作業の科学的コントロールがますます強く求められています。
掘削作業の科学的コントロールは、正確な掘削情報とりわけ坑底情報をリアルタイムで入手することから始まり、入手した情報を処理した後、現場の作業にフィードバックすることで完結します。
この各ステップに対応して研究開発の焦点となって いるのが、MWD(Measurement While Drilling)、掘削制御プログラムとデータベース、そして、掘削作業の自動化です。
初期のMWDはもっぱら傾斜掘りの制御に利用され、坑井の傾斜と方位及び傾斜掘り機器の向きをモニターするために使われました。
その後、ビット荷重や回転トルク等の掘削パラメータの測定が可能になり、更に最近では、地層の比抵抗やγ線等の地質情報を得るためのセンサーが開発され実用に供されています。
将来はワイヤライン検層にとって代わり、掘削と検層とが並行して進行することが考えられます。
このような情報量の増加に対応するために、伝送速度の飛躍的向上を図る方法が研究され、泥水を媒体とするマッドパルス方式やマッドサイレン方式に代わって、地中を伝わる極超長波の電磁波を利用するEM‐MWD(Electro‐Magnetic MWD)が有望視されています。